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ローマ1:25-27 永遠にほめたたえるべきお方 [ローマ書]

  1. 創造者こそが永遠に賛美されるべきお方である。滅び朽ち果てる被造物と違って、創造者は永遠である。その栄光と力とは永遠に不滅である。
  2. 被造物にとってふさわしいあり方、その創造の目的、それはずばり礼拝である。神を神とする。神にふさわしい賛美と感謝をささげていく礼拝こそが最も重要なポイントである。
  3. 天国においてなされている営みは礼拝である。その礼拝の中心は子羊なるキリストである。
  4. 男色はヘレニズム世界においては自明なことであり、より高い愛の表現として称賛されていた。それほどに彼らの知性は暗闇に覆われていたのである。
  5. 主をほめたため、礼拝することこそが我らの力と喜びの源泉である。それは常にできることである。

ローマ1:22-24 恐るべき裁き [ローマ書]

  1. 神にゆだねられた幸いな人生の対極にあるもの、それは罪の支配へとゆだねられ、引き渡された人生である。人はそれを自由であると錯覚するが、神の最も厳しい裁きである。
  2. 「引き渡す」(パレドーケン)が24,26,27節に繰り返される。罪の支配へとゆだね、引き渡すということは、見捨てること、見放すことでもある。
  3. 神がその人を目覚めさせ、悔い改めさせるために様々な懲らしめや苦難を与えるのは、彼が憎いからではなく、まだ見込みがあると考えるからである。放任ほど恐ろしい取り扱いはない。
  4. 吹聴するとは言い張ることである。何も見えていないのに、分かっていないのに、自分は見えると言い張る所に彼の罪がある。

ローマ1:19-21 神の栄光を表す [ローマ書]

  1. 被造物が創造された目的は何か。それは神の力とそのきよい性質を現し、よって神の栄光を表すことである。
  2. そのためには、キリストの謙卑に倣って、自己の力を放棄し、空しくなることが求められる。
  3. 律法主義の過ちは自己の栄光を表すために、自己の力に頼って努力することにある。

ローマ1:16-18 神の義 [ローマ書]

  1. キリスト教とは、単なる教え、堅苦しい規則ではない。むしろ、そのような束縛から解放するダイナミックな力である。
  2. 律法(様々な道徳的規則)は、実は人間を罪の牢獄へと閉じ込め、縛り上げていく。それに対して、福音というものは人間を罪の力、様々な束縛から解放し、自由をもたらしていくのである。
  3. 神の義なる本質は人類に対して二通りの発現をもたらす。一つは神に逆らう不敬虔な者を怒り、裁き滅ぼす働きである。もう一つは、福音を信じる者を神との正しい関係へと回復する救いの働きである。福音への対応によって人類の運命は真っ二つに分かれるのである。

ローマ1:13-15 物事を変革する力 [ローマ書]

  1. ローマにおいて福音を述べ伝えて、何とかして幾人かでも救いに導きたい。
  2. 彼を内側から突き動かしていたのは、キリストの愛であり、愛による負債であった。
  3. たとえ、どんなに妨害されても、人々から馬鹿にされても、パウロは宣教のビジョンを失うことなく、これを追求していった。
  4. 聖霊による強い信念とビジョンをもって、反対する人々を忍耐強く説得しながら、物事を変えていくバイタリティーのある人が必要である。その生命力とはキリストの復活の力である。

ローマ1:10-12 健全なる教会観 [ローマ書]

  1. 「力になりたい」と訳された語は「堅く据える、確立する」などの意味を持つ。パウロがその福音の体系をローマ教会に解き明かしたのは、彼らの信仰を確立するためであった。
  2. 彼は古代、中世を通じてキリスト教会をリードしていくローマ教会の今後の重要性を理解し洞察していたのかもしれない。彼らが正しい福音理解に立つということが極めて重要なことであった。
  3. 教会とは教師一人の一方的な教えを受けるのではない。互いの霊的賜物によって教え合い、恵みを分かち合うことによって一緒に成長し、建て上げられていくものである。

ローマ1:7-9 まず感謝 [ローマ書]

  1. まず感謝。感謝と喜びをもって神の大庭に入る。それが、神に近づく者の作法であり、あるべき礼拝のかたちである。
  2. 彼の感謝それは、帝国の首都、皇帝のおひざ元に、まことの神を信じる教会の群れが存在していることへの喜びと感謝であった。
  3. 私たちは神に愛されている者である。神の私たちへの愛はその選びにおいて示された。
  4. 私たちはどんなにすばらしい救いの恵みにあずかっていることか。その豊かさと栄光をパウロは本書において体系的に解き明かしていく。それは過去、現在、未来におよぶ壮大なものである。

ローマ1:4-6 信仰の従順 [ローマ書]

  1. 「信仰の従順」はローマ書のはじめと終わりに出てくる重要な主題である。
  2. 律法は反発と不従順をもたらすものである。信仰のみが、神の恵みのみが心からの、喜びに満ちた自発的服従をもたらすことができる。聖霊によるいのちと働きのみがこの服従を可能にする。
  3. 聖書による啓示の光は私たちの心の目を開き、肉なるものの正体、その醜悪なる実態を見せ、気づかせ、私たちを正しい選択へと導く。すなわち、肉に従う道ではなく、霊に従う道を選びとらせてくださるのである。
  4. 聖なる者とされた信仰者にとって、服従とは内に宿った神のきよい性質の自然の現れである。信仰者にとって、神に逆らい罪を犯すことは、本来の自己の性質に逆らう矛盾した行為であり、自らの内に葛藤と不快とを招くのである。
  5. 信仰の本質とは服従であるとのパウロの理解が示されているのかもしれない。

ローマ1:1-3 アイデンティティー [ローマ書]

  1. 当時の世界である地中海世界の東半分において、パウロはその主要都市に教会の基礎を据え、福音を満たしてきた。今、彼は自分のこれからの働きを考え、ローマ教会の支援と協力とを受けながら、ローマ帝国の西半分、遠くスペインにまで福音を満たそうと願う。
  2. 彼は残された人生、その将来構想を考える土台として、手紙の冒頭の自己紹介の中で、自己のアイデンティティーというものを強烈に意識し、それを明確化している。
  3. アイデンティティーとは、自分とはいったい何者であるのか、この地上における自分の存在理由、役割、使命、賜物とはいったい何か。
  4. あなたを今の場所に置いたその目的は何か。地域社会、家庭、職場、教会において、神があなたをそこに置かれたその目的、あなたに託された役割とは何か。神があなた与えた恵み、賜物とはいったい何であるか。
  5. 私たちはその人生の終わりにおいて、与えられた恵み、そのタラントをどう用い、生かしたか、その清算を迫られるのである。
  6. 生まれつきのタラント(才能)は自己の栄光を追求する有害なものである。しかし、それが神の手にゆだねられ、返却され、聖霊なる神の御手によって握られ、用いられる時に、神の栄光をあらわすという本来の目的と使命とを取り戻すのである。

マタイ福音書14:22-33 信仰の性格 [マタイ]

今日の箇所は信仰とは何か、その性格を理解するうえで大切な真理を教えています。

  1.  人生を航海にたとえるならば、突然の嵐やその前進を妨げる逆風や荒波が私たちを悩ませます。そんな私たちに主イエスは語りかけます。「安心しなさい。わたしだ。(わたしがついている)、恐れることはない。」27節。「わたしがあなたと共にいてあなたを守り支えてあげるから安心しなさい」と神は言われます。信仰とは恐れたり思い煩ったりする代わりに、神を信頼することです。その重荷を神に委ねることです。 
  2. 神を信頼するとは、神の言葉を信頼することです。ペトロはイエスにお願いして神の言葉、語りかけを頂きました。この「来なさい」というイエスの言葉を信頼して一歩踏み出した時に、彼は水の上を歩くことができたのです。それは私たちが困難の上を歩くことができることを意味します。
  3. 神の言葉、自分に語られた神の言葉を信頼して、勇気をもって一歩踏み出す時に、神の超自然的な力がその生活の上に働き始めます。私たちが神を信頼し、神の言葉を信頼して行動する時に神の救いの力が働き始めるのです。
  4. ペトロがイエスの言葉を疑った時に沈み始めたのは象徴的な出来事です。私たちも今まで自分を悩ませてきた問題や逆風に目を留めて恐れたり、思い煩ったり、神の言葉を疑ったりする時に、神の力が働かなくなるのです。 
  5. 神はあなたが恐れたり、思い煩ったりするのではなく、神を信頼して安らかな生活を送ることを願っています。祈りによってその問題を神に打ち明けてゆだねて、神に信頼する時に、あなたを助け支えるためにその救いの御手を伸べてくださるのです。 

 


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